この『よあけ』を取り上げるとき、「市場めし」にした方がいいんじゃないかと悩みに悩む。
しかし、串カツに、いわし汁にエイの肝の刺身、そして酎ハイ、こんなもんが本来健全であるべき朝ご版といえるだろうか?
画像を見ながら繰り返し考える。
「どない考えても、あんさんにとって『よあけ』は居酒屋ですやろ」
夢で浪花千栄子(だれも知らへんやろな)風のオバチャンにこないなことを言われてしもうた。
夢にまで見るほどに『よあけ』の食いもんには衝撃を受けたのだ。
加えるに、気分よう酒がくいくい飲めたのである。
さて、三月(2008年の)だったろうか?
大阪に島流しにあっていたヤガラさん、どさ回りのまささん、ボクの三人で鶴橋の商店街・市場を放浪していたのだ。
鶴橋の迷路を彷徨い、迷いながら、向こうに千日前通りが見えるな、というところまで来た。
ふと横を見ると鶴橋でも一際細い、薄暗い路地があった。
入り口に何故か小さな地蔵堂があり、その隣に紺暖簾が下がる。
それが『よあけ』だったのだ。
この店名にピンと来た。
確か、『大阪下町酒場列伝』に載っていたはず。
ここでちょっと鶴橋の歴史を『大阪「鶴橋」物語』から。
鶴橋には戦前から近鉄、国鉄(古くは省営鉄道)、市電(千日前通りを走る路面電車)の駅があり交通の要衝であった。
第二次世界大戦の末期に空襲に備えるために、防火の意味から建物疎開というのがあり、民家の密集した鶴橋もその対象となる。
強制的な撤去で駅を中心に広大な空き地となったところに敗戦を迎える。
この空き地に闇市が出来たのだ。
交通の便からも大阪でももっとも賑やかな闇市となり、それが時を経ていくつもの商店街となる。
また戦後、鶴橋地方卸売り市場が出来たことも、この鶴橋の繁栄に一層の拍車をかけたことと思われる。
『よあけ』から千日前通りにかけては建物疎開の地区ではなかった。
しかも空襲に遭わなかったために、戦前の建物はそのまま残っていたのだ。
空き地と、焼け残った街との間隙にできた細長い空間に非常に細長い路地が出来て、細長い建物ができた。
この細長い建物にあたるのが、『よあけ』なのだ。
もうひとつ重要なこと、鶴橋は街全体が市場なのだ。
なぜなら商店街と市場の違いは些少なもの。
要するに人が集まるところが「市場」だとしたら同一のものと考えるべき。
特に鶴橋には5つの商店団体があり、地方卸売市場もある。
その団体名にも「市場」という文字がついたり、「商店街」という文字だったりして、よけいわからんようになる。
要するに近鉄、JR、地下鉄、鶴橋駅周辺の非常にごちゃごちゃした地域全部が市場だと思えばいい。
「鶴橋に行こう」=「鶴橋市場に行きまひょ」と同義なのだ。
鶴橋市場は楽しい。
面白いことに、まだ子供の姫と来て、夢中になって迷路を歩き回ったことがある。
また迷路で出合う世代も様々である。
ゴチャゴチャした、昭和とコリアンの混ざる「ごった煮めいた(藤田綾子さんの表現をお借りした)」街は老若男女を問わず惹きつける力を持っているようだ。
さてこれからが「ぼうずコンニャクの酒場遭難記」の始まり始まりなのだ。
ボクと他オヤジ二名(ヤガラさん、まささん)、若い(?)娘一名(おふるさん)が鶴橋の迷路に酔い、そして『よあけ』の酒に酔う。
ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑(いちばぎょかいるいずかん)へ
http://www.zukan-bouz.com/
参考文献/『大阪下町酒場列伝』(井上理津子 ちくま文庫) 『大阪「鶴橋」物語』(藤田綾子 現代書館)