2007年1月アーカイブ

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 川本三郎さんのエッセイに出てきて魅力的だなと感じていたのが『斉藤酒場』なのである。その酒場を目差すためだけに、十条に行く。十条は学生の頃なんども来ている。ただただ荷物を帝京病院に届けるという、そのためだけに駅からまっすぐに大通りを歩く。このいつもの経路では面白くないので反対に都営三田線板橋本町から環状7号線、そして駅へと続く商店街を抜けて埼京線十条駅を目差す。
 とにかく駅にたどり着けば、見つかるだろう、なんて思っていたら、全然見つからない。おかしな事にエッセイを読んでイメージしたのが線路の東側。通りを行く人に飲み屋の場所を聞くわけにもいかず、立ち往生していたら、駄菓子屋のような店舗から女性が出てきて掃除をしているのをみつけた。
 この女性によって線路の反対側、しかも駅のすぐそばであることを知る。この迷いに迷った線路の東側が寂しい。ついでに数軒先のこぎれいな酒屋でワンカップを買う。その酒屋の店内の一家団欒の雰囲気も現代にはそぐわないが、でもでも懐かしい。ボクも商店に生まれ育ったのだ。
 その女性が
「あそこはね。本当に古いんですよ。このあたりがまだまだ寂しくてね。商売なんかやる人がここに来るでしょ。そしたら帰りに寄るんですよ。ご飯も食べるんでしょうね」
 この女性が言う、その頃とはいつなのだろう? そんな話を聞くと、なんだか小走りに線路をまた超える。酒場はすぐに見つかった。しかも人気店なのに引き戸を開けると席が開いていたのだ。
 座った途端、
「よかったですね。相撲中継の時間帯はほとんど満員なのに。今日は珍しい」
「そうなんですか」
「相撲の前頭上位だけここで見る人が多いんです」
 地元の方らしき隣の老人から声がかかる。
 店内は真四角で広い。どれくらい座れるのだろう、ほとんど満席に近い。それなのに一人で席についてまことに居心地がいいのだ。
 突き出しの牛肉の佃煮のようなものを女性が運んで来たので、煮込みと、名物の(川本三郎さんのエッセイにあった)カレーコロッケを注文する。
 ボクが入った時間が前頭の上位取り組みの5時半前、これから相撲中継は三役、大関となってきて。店内は完全に埋まった。
 出てきた煮込みがいい味だ。味噌仕立ての汁にはよく油を抜いたモツ、白黒のコンニャク。このコンニャクの食感が特徴的だろう。そしてカレーコロッケはまさに家庭のカレーがコロッケの中に入っているといったもの。これがなんと言っていいのだろう、とてもうまい。2個ではものたりないくらいだ。

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 酎ハイボールを2杯飲んで日本酒にする。女性が伝票にチェックするのを見ると、なんとお銚子が180円なのである。残念ながら最近目の出血がたびたびで視力が落ちてきている。店の厨房側の品書き値段が見えない。
 イナダの煮つけ、煮こごり、ポテトサラダと、酒を重ねる。昼ご飯抜きで歩いた空腹感も冷えた身体もどんどん癒されていく。いつまでもここで座っていたくなる。これはいい酒場に出合ったとき共通する思いである。

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いなだの煮つけは決してうまいもんじゃない。でもよくここまでの一品に仕上げたというもの

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 相撲が終わると地元の方達が一斉に勘定にたつ。そこに店の前で待っていたとおぼしきサラリーマンが空席を見つけて散らばる。この店の一人客度は予想以上に高いようだ。そして気がついたのだが、この居酒屋の魅力はなんといっても給仕してくれる女性たちの親切なこと、また適度に下町的なところだろう。
 小一時間もいただろうか、大衆酒場としては長居の方だろう。少々飲み過ぎて埼京線のホームで受ける真冬の風が心地よい。なぜなんだろう都内にあって旅の空の哀愁を感じる。

 親戚に酒屋(酒蔵)があったために寒い時期になると、酒粕が送られてくる。商家だったので朝ご飯は簡単なものだった。面白いことに、昭和30年代(1960年代始め)に朝は菓子パンやトーストだったのだ。そして小学校の昼休みにご飯を食べに一時帰宅をしていた。ご飯らしいご飯はお昼になってからだったのだ。まったくあれは本当にあったことなんだろうか? もう40年以上も前のことになる。
 そんな気ままな朝ご飯は真冬になると、七輪に炭をいからせて、お餅というのも多かった。その脇で酒粕を一枚か二枚焼くのである。小学生なのにこのアルコール分がかなり残っている芳醇な味わいが大好きだった。板状になった酒粕自体が甘いのは糖分が発酵時に残るためだし、これで白砂糖をくるんで食べたのだ。
 実を言うと四国と言っても貞光町(現つるぎ町)は朝方寒いのである。それなのに北国のように防寒服がしっかりあるわけでもなく、また古い江戸の商家そのままにボクの育った家は古く、耐えられないくらいに冷たい。それが板粕、2、3枚で身体がホカホカと温かい。また甘さに飢えていた頃なのである。甘いものが食べたくて仕方ないのが、酒粕のときだけしっかり白砂糖が用意されていた。
 そしてポカポカのまま我が家の裏木戸を抜け、坂道を上り、左手に十王さんが見える。そこにある石仏の石と石の間に江戸時代の銭が挟んであり、その下の苔が緑なのだ。登り切り、北へすすむ。暗い古めかしい長屋風の家々を抜けて学校へと向かう。ボクが左右に目を凝らすのは軒の氷柱を探しているのだ。子供の頃、大きな氷柱を持っているのが自慢の種だった。その長屋の平瓦の軒には氷柱がいつも並んでいるのだ。そのなかから大きいものを見つけると道の脇の草むらに隠して、また学校へと向かう。谷にかかる石の橋、大きな屋敷を過ぎて、少し道は広くなる。そして左手に曲がると幼稚園が見える。と、同時に養鶏場の鶏糞の強い臭い。幼稚園の前の山裾に広がるのが小学校の運動場、そして校舎がある。寝坊だったので、小学校には遅刻ギリギリで着いていた。運動場の端っこにくると、必ず始業のチャイムが鳴り始める。「チャイムの鳴っている間に教室に入ると遅刻とちがうんでよ」、同じく遅刻常習犯の友達と腹が痛くなるほどに走った。
 酒粕を焼くだけで子供の頃の情景が次々に浮かんでくる。どうしてなんだろう。

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酒粕は八王子市下恩方、中島酒造のもの

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 八王子にはほんの数年前までは3軒の酒蔵があった。そのなかでも2軒は市街地のど真ん中にあって八王子の街がいかに水に恵まれていたのかを見せてくれていた。それが2軒とも移転。しかも一軒は遠く県外へ行ってしまったのだ。残念なことであるが、たぶんこれも仕方がないなと“地下水を汚すようなことばっかりたってきた「美しい日本」作りの敵とも言えそうな役人や政治家”はさぞや思っているだろうな。でもボクは残念で仕方がない。八王子の方々そうは思わんだろうか?
 それで今でも古くからの土地での酒造りを続けているのはどこか? と言うと「日出山」という銘柄の『中島酒造』だけとなってしまった。それが市内下恩方にある。ここなら我が家から自転車でも行けるのである。でもちょっと遠いのでクルマで四半時。八王子から陣馬山に抜ける陣馬街道からすぐの酒蔵にたどり着いた。見たところこぢんまりと小さな酒蔵である。木造の建物に煙突がなければ倉庫のようにしか見えない。
 ここでちょっと酒蔵を拝見。午前中の仕込みは終わってしまって、ただたんに発酵タンクをのぞいただけであったが、小規模で手作りに徹しているようだ。
「高尾山」「陣馬山」「日出山」と銘柄は3つ。ここに吟醸、純米、本醸造、普通種とある。確かに今時の突出した味わいを作り出してはいないものの。良酒ではあるのが「中島酒造」の酒である。味わいはやや辛口で旨味も感じられる。
 多摩地区にあって八王子という土産の酒を飲むのもまたよしとする。今夜も「日出山」でいっぱいやるのだ。

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中島酒造
http://www.nakajima-sake.co.jp/

 これは端的にうまいものだ。言うなれば濁り酒というやつで甘く口当たりがいい。また濁り酒としては辛口の方だろう。
 塩ウニなどを肴に軽く4、5本飲んでしまいそうでこわい気がする。
 また缶のデザインがとてもいい感じである。男の子でも女の子でもない「わらし」が、なんというのだろう蓑(?)をかぶり、牡丹雪がまう。これたっぷり用意して真冬の野宿というのもいい。

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酔仙酒造
http://www.suisen.co.jp/

 福生のコンビニにお茶を買うために入ってたまたま見つけたのが千代鶴「TURU-CUP」。まことに見事なデザインで、これならついつい買ってしまいそうだ。
 千代鶴という酒は過去になんどか買っている。それはあきる野市というのが身近な野歩き(生き物や山菜を探して歩く)の場所であるからだ。そこには「喜正」というのと「千代鶴」という2銘柄がありどちらもあか抜けない味わいで東京にあって鄙びて野卑な感じがする。また東京でも奥多摩、あきる野の本来の味わいが甘く重いものだというのがわかって、それがなかなか楽しいものであった。
 そんなことを思いながら飲むワンカップでは意外にいい味であった。これは杜氏の交代でもあったのだろうか? どうも売れ行きのよいわかりやすい酒となっている。
 安酒の代名詞ワンカップとしては飲みやすく、適度に辛口である。これなど世間にもまれて片隅でそっと涙するお父さんをなぐさめてくれそうな味わいである。あきる野は東京にあって里の優しさがあるということか?

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ワンカップコレクター太郎の評価/毎日使いたいよ!

中村酒造(中村八郎右衛門) あきる野市牛沼63

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