川本三郎さんのエッセイに出てきて魅力的だなと感じていたのが『斉藤酒場』なのである。その酒場を目差すためだけに、十条に行く。十条は学生の頃なんども来ている。ただただ荷物を帝京病院に届けるという、そのためだけに駅からまっすぐに大通りを歩く。このいつもの経路では面白くないので反対に都営三田線板橋本町から環状7号線、そして駅へと続く商店街を抜けて埼京線十条駅を目差す。
とにかく駅にたどり着けば、見つかるだろう、なんて思っていたら、全然見つからない。おかしな事にエッセイを読んでイメージしたのが線路の東側。通りを行く人に飲み屋の場所を聞くわけにもいかず、立ち往生していたら、駄菓子屋のような店舗から女性が出てきて掃除をしているのをみつけた。
この女性によって線路の反対側、しかも駅のすぐそばであることを知る。この迷いに迷った線路の東側が寂しい。ついでに数軒先のこぎれいな酒屋でワンカップを買う。その酒屋の店内の一家団欒の雰囲気も現代にはそぐわないが、でもでも懐かしい。ボクも商店に生まれ育ったのだ。
その女性が
「あそこはね。本当に古いんですよ。このあたりがまだまだ寂しくてね。商売なんかやる人がここに来るでしょ。そしたら帰りに寄るんですよ。ご飯も食べるんでしょうね」
この女性が言う、その頃とはいつなのだろう? そんな話を聞くと、なんだか小走りに線路をまた超える。酒場はすぐに見つかった。しかも人気店なのに引き戸を開けると席が開いていたのだ。
座った途端、
「よかったですね。相撲中継の時間帯はほとんど満員なのに。今日は珍しい」
「そうなんですか」
「相撲の前頭上位だけここで見る人が多いんです」
地元の方らしき隣の老人から声がかかる。
店内は真四角で広い。どれくらい座れるのだろう、ほとんど満席に近い。それなのに一人で席についてまことに居心地がいいのだ。
突き出しの牛肉の佃煮のようなものを女性が運んで来たので、煮込みと、名物の(川本三郎さんのエッセイにあった)カレーコロッケを注文する。
ボクが入った時間が前頭の上位取り組みの5時半前、これから相撲中継は三役、大関となってきて。店内は完全に埋まった。
出てきた煮込みがいい味だ。味噌仕立ての汁にはよく油を抜いたモツ、白黒のコンニャク。このコンニャクの食感が特徴的だろう。そしてカレーコロッケはまさに家庭のカレーがコロッケの中に入っているといったもの。これがなんと言っていいのだろう、とてもうまい。2個ではものたりないくらいだ。
酎ハイボールを2杯飲んで日本酒にする。女性が伝票にチェックするのを見ると、なんとお銚子が180円なのである。残念ながら最近目の出血がたびたびで視力が落ちてきている。店の厨房側の品書き値段が見えない。
イナダの煮つけ、煮こごり、ポテトサラダと、酒を重ねる。昼ご飯抜きで歩いた空腹感も冷えた身体もどんどん癒されていく。いつまでもここで座っていたくなる。これはいい酒場に出合ったとき共通する思いである。
いなだの煮つけは決してうまいもんじゃない。でもよくここまでの一品に仕上げたというもの
相撲が終わると地元の方達が一斉に勘定にたつ。そこに店の前で待っていたとおぼしきサラリーマンが空席を見つけて散らばる。この店の一人客度は予想以上に高いようだ。そして気がついたのだが、この居酒屋の魅力はなんといっても給仕してくれる女性たちの親切なこと、また適度に下町的なところだろう。
小一時間もいただろうか、大衆酒場としては長居の方だろう。少々飲み過ぎて埼京線のホームで受ける真冬の風が心地よい。なぜなんだろう都内にあって旅の空の哀愁を感じる。
ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑へ
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ついつい食べたくなる「竹輪の磯辺揚げ」
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