酒場遭難記: 2006年10月アーカイブ

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 初めて下りた鐘ヶ淵駅から鐘淵通りを南下する。この鐘淵通りの商店街もまだまだ元気があり、また小さな工場もあってまさに下町気分が味わえる。ながながと続いた鐘淵の商店街も水戸街道とぶつかり終了となる。ここで街道を渡るかどうか迷ってしまう。このまま水戸街道を突っ切って京成曳舟線の八広駅に出て無駄歩きを終わらせるのもいいだろうけど、もの足りないのだ。
 闇が迫ってきている交差点、向こう側を見ると居酒屋らしきものが見える。それが「丸好」であったのだ。店内が見えないので引き戸の前で思案に思案していたら、後ろに人が来て、それに押されるように店に入る。店内はもう9部通り満席である。店のはほぼ真四角だろうか南西の角を四角く厨房にして「く」の時にカウンター。机席はない。
 初めてはいる店というので気になるのが「常連さん」の指定席があるかないか? 気にして突っ立っていたら、厨房のオバサンが「あんたここ」というのでとりあえず座る。この店をやっているのはどうやらこのオバサン一人らしい。向こうに煮込みの鍋が見えたので「煮込みと、酎ハイ」とお願いする。
 大鍋からモツ煮込みを中鉢にとり、なにやら液体をかけている。酎ハイがレモン入りで置かれる。そして「Nihon citron」の空瓶。この瓶は客の飲んだ数を把握するためのもの。このモツ煮込みがいい味わいだ。ときどきモツの旨味を汁に出すつもりなのか、どことなく生臭いのがあるが、まったくそれがなく程良い煮込み加減で汁も含めてうまい。

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 正面の品書きにモツ煮込みなどの丼物が並んでいるが、これならご飯にかけてもいやじゃない。そして酎ハイを一気に飲み干す。気温は下がってきたもののやはり歩きづめに歩くと汗をかく。その熱を含んだ身体に酎ハイがしみ通る。
 オバサンが目の前のガス台でしきりになにやら煮込んでいる。するとボクの後を入ってきたジイサンが「スジくれ」。「スジはないよ。こりゃ明日の分」。「それじゃ、煮込みかな」というジイサンの目の前に煮込んでいる鍋から牛すじ煮込みがすくわれて、また液体を廻しかけて置かれる。
 またカウンターのあちこちから「レバ刺」の注文。オバサンはそのつど冷蔵庫から重そうな牛レバを出して四角い皿に並べて、タレをかけてショウガとネギをのせる。レバ刺は少々苦手なのだ。そこに「ハツ刺」というのがあり、ちょうど注文がきて作り始めた。「こっちもください」と声をかける。

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 このオバサン、注文を聞いてくれたのかどうか、料理がこないとはっきりしないのが難点なのだ。でも今回はすぐに目に前に来た。このハツ刺がよかったのだ。せんぜん生臭くなく、微かに甘味があって醤油ダレと良く合っている。そして「どじょう丸煮」、酎ハイを追加する。
 この「どじょう丸煮」がうまかったのだ。ややさっぱりした辛目の味付け、しっかりドジョウの風味が生きている。これは絶品かも。そう言えばこのあたりは隅田川、荒川に挟まれて戦前、戦後の数年まで、こ用水路、水路が張り巡らされたところ。ウナギやドジョウを扱う店も多かったのだろう。これはその名残かも知れない。

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 思った以上に酎ハイを重ねて暮れきった水戸街道を渡る。それからまた無駄歩きをして東向島(旧玉ノ井)駅に至る。
●これを書いたのが9月のこと。あとで『私の東京町歩き』(川本三郎 ちくま文庫)を読んでいたら「丸好」らしい店が登場していて驚いた

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