仕事が終わり、夕暮れが迫り来る。こんな時間帯に北千住を歩くのが大好きだ。別になにをするでもなく、ただただ「無駄歩き」をする。この「無駄歩き」は川本三郎さんのエッセイを読んでいたときにひらめいた言葉。川本三郎さんは、下町を歩き、想う。ボクは決して「想う」のではないのではないか? ただただ彷徨っているだけだという思いから「無駄歩き」としたのだ。その川本三郎さんのエッセイで見つけたのが「大はし」である。
北千住には足立市場があり、その下調べをかねていろいろ歩いてみたり、また芭蕉の奥の細道を読み返してみたりしていた。
そして京成線「千住大橋」から足立市場を見て、旧日光街道を北上する。この旧日光街道の街並みは個人商店が多くてとても楽しい。子供の頃にみたような木造ガラス張りの薬局のある薬屋、切り妻造りの文房具店、昭和30年代の「モダン」を今に残す洋品店。こんな街並みを北上して右手にあるのが「大はし」なのだ。
この「大はし」なのだがどうも昨年から今年にかけて建物を改築したか、立て替えたかしていたようで来るたびに店は閉ざされていた。それがやっと営業中なんだなと思うと店の前に人が並んでいたり、かれこれ数度おとない、やっと席に着けた。
入った途端に「一名さん」と言われるが声が鋭角的で大きい。一瞬たじろいだが店の雰囲気は穏やかで温かい。とりあえず酎ハイと名物の肉とうふ。
店内にはいるとUの字のカウンター。その中ほどが切れて右側はふたつに分かれている。左側は短く、そのとぎれた所に「金宮焼酎」の置かれた棚がある。その奥に厨房があるようだがそれが思った以上に広いように思える。その厨房の前にいるのがここの4代目と5代目である。
4代目は肉とうふを浅い皿にとると注文から一瞬の間で目の前に。焼酎ハイは網代の小皿に分厚いグラス。まず焼酎をそそいで梅エキスを。ここグラスから表面張力で焼酎が盛り上がる。そして大振りのブラスにレモンの切れ端、炭酸と氷のペールが置かれる。すなわち基本は梅割なのであり、そこに炭酸が加わって酎ハイとなる。
この「肉とうふ320円」は牛肉と豆腐の煮込み。豆腐抜きなら「牛にこみ320円」となる。程良い甘味、そしてほろっと肉の繊維がほころびて軟らかい。また煮込まれた豆腐のうまいこと。さすがに「大はし」と言えば「煮込み」といわれるわわけを思い知る。そう言えば東京には三大煮込みというのがあり、一に「大はし」、二に「山利喜」、三はなんだっただろう。
梅割のお代わりをして品書きを見ると「さんまたたき」「こはだ」がともに480円、「やりいかさしみ」「生うに」「しゃこ」がありなんと「白海老さしみ」もあるのだ。煮魚、塩焼き、お新香もあり、こんなに品書きの多い店だとは思わなかった。
ここで「こはだ」をお願いすると、驚いたことに「新子」なのだ。しかも7匹。今の時期なら1匹原価で50円近くする。それで480円なんて信じられないのだがどう見ても「新子」としか見えない。
やっと落ち着いたとき右手奥で静かに飲んでいた老人とその息子さんらしき二人が勘定を済ませて席を立つ。老人はひとりでは立てないほどお身体を悪くしているようだ。それでも「大はし」に来てしまうのだろう。ゆっくり狭い通路を壁などを伝い出口に向かう。その息子さんの老人を支える姿に愛情がこもっている。
軽く腹ごしらえをしてきたのであるが、あと一品欲しい。考えた末に「牛にこみ」にする。
このとき周りを見回して気がついたのだが、ほとんどの方の前に「金宮焼酎」のボトルが置かれている。奥のアルコール類の品書きを見ると「焼酎一本1250円」とある。しかも梅エキスはサービスなので非常にお得である。しまったと思って「ボトルで頼めば良かった」と漏らしてしまったら、お隣から声がかかった。この水澤章さん(名刺をいただいた)との会話が楽しかった。とても静かに話をされる内容が所謂世間話ではなく、昔の栃木のこと(水澤さんは栃木生まれ)だったりする。最近、東京近郊の街に興味を持ち、巡っているので、この内容が非常に面白いのだ。途中下車までして「大はし」に通っているという水澤さんから「何かの縁ですから」と焼酎を注いでいただく。またお会いできたらうれしいな水澤さん。
さて、下町の大衆酒場での長居は禁物である。小一時間ほどで退散する。その旧日光街道は逢魔が時を迎えている。