酒場遭難記: 2006年7月アーカイブ

北千住「大はし」

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 仕事が終わり、夕暮れが迫り来る。こんな時間帯に北千住を歩くのが大好きだ。別になにをするでもなく、ただただ「無駄歩き」をする。この「無駄歩き」は川本三郎さんのエッセイを読んでいたときにひらめいた言葉。川本三郎さんは、下町を歩き、想う。ボクは決して「想う」のではないのではないか? ただただ彷徨っているだけだという思いから「無駄歩き」としたのだ。その川本三郎さんのエッセイで見つけたのが「大はし」である。
 北千住には足立市場があり、その下調べをかねていろいろ歩いてみたり、また芭蕉の奥の細道を読み返してみたりしていた。

 そして京成線「千住大橋」から足立市場を見て、旧日光街道を北上する。この旧日光街道の街並みは個人商店が多くてとても楽しい。子供の頃にみたような木造ガラス張りの薬局のある薬屋、切り妻造りの文房具店、昭和30年代の「モダン」を今に残す洋品店。こんな街並みを北上して右手にあるのが「大はし」なのだ。
 この「大はし」なのだがどうも昨年から今年にかけて建物を改築したか、立て替えたかしていたようで来るたびに店は閉ざされていた。それがやっと営業中なんだなと思うと店の前に人が並んでいたり、かれこれ数度おとない、やっと席に着けた。

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 入った途端に「一名さん」と言われるが声が鋭角的で大きい。一瞬たじろいだが店の雰囲気は穏やかで温かい。とりあえず酎ハイと名物の肉とうふ。

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 店内にはいるとUの字のカウンター。その中ほどが切れて右側はふたつに分かれている。左側は短く、そのとぎれた所に「金宮焼酎」の置かれた棚がある。その奥に厨房があるようだがそれが思った以上に広いように思える。その厨房の前にいるのがここの4代目と5代目である。
 4代目は肉とうふを浅い皿にとると注文から一瞬の間で目の前に。焼酎ハイは網代の小皿に分厚いグラス。まず焼酎をそそいで梅エキスを。ここグラスから表面張力で焼酎が盛り上がる。そして大振りのブラスにレモンの切れ端、炭酸と氷のペールが置かれる。すなわち基本は梅割なのであり、そこに炭酸が加わって酎ハイとなる。

 この「肉とうふ320円」は牛肉と豆腐の煮込み。豆腐抜きなら「牛にこみ320円」となる。程良い甘味、そしてほろっと肉の繊維がほころびて軟らかい。また煮込まれた豆腐のうまいこと。さすがに「大はし」と言えば「煮込み」といわれるわわけを思い知る。そう言えば東京には三大煮込みというのがあり、一に「大はし」、二に「山利喜」、三はなんだっただろう。

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 梅割のお代わりをして品書きを見ると「さんまたたき」「こはだ」がともに480円、「やりいかさしみ」「生うに」「しゃこ」がありなんと「白海老さしみ」もあるのだ。煮魚、塩焼き、お新香もあり、こんなに品書きの多い店だとは思わなかった。
 ここで「こはだ」をお願いすると、驚いたことに「新子」なのだ。しかも7匹。今の時期なら1匹原価で50円近くする。それで480円なんて信じられないのだがどう見ても「新子」としか見えない。

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 やっと落ち着いたとき右手奥で静かに飲んでいた老人とその息子さんらしき二人が勘定を済ませて席を立つ。老人はひとりでは立てないほどお身体を悪くしているようだ。それでも「大はし」に来てしまうのだろう。ゆっくり狭い通路を壁などを伝い出口に向かう。その息子さんの老人を支える姿に愛情がこもっている。

 軽く腹ごしらえをしてきたのであるが、あと一品欲しい。考えた末に「牛にこみ」にする。
 このとき周りを見回して気がついたのだが、ほとんどの方の前に「金宮焼酎」のボトルが置かれている。奥のアルコール類の品書きを見ると「焼酎一本1250円」とある。しかも梅エキスはサービスなので非常にお得である。しまったと思って「ボトルで頼めば良かった」と漏らしてしまったら、お隣から声がかかった。この水澤章さん(名刺をいただいた)との会話が楽しかった。とても静かに話をされる内容が所謂世間話ではなく、昔の栃木のこと(水澤さんは栃木生まれ)だったりする。最近、東京近郊の街に興味を持ち、巡っているので、この内容が非常に面白いのだ。途中下車までして「大はし」に通っているという水澤さんから「何かの縁ですから」と焼酎を注いでいただく。またお会いできたらうれしいな水澤さん。
 さて、下町の大衆酒場での長居は禁物である。小一時間ほどで退散する。その旧日光街道は逢魔が時を迎えている。

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 この店の名前からしてわからない。暖簾を見ると「宇ち多」なのだろうか? あまり自信がないので「うちだ」とする。この店のことを知ったのは『下町酒場巡礼』による。食べ物関係の店で「本を見て行く」ということは絶対にしないのだけど、この本、著者の年代的からもしみじみその良さが伝わってくる。そのせいかここに書かれている店は素直に行ってみたくなる。そのなかでももっとも行って見たかったのが「うちだ」である。
 葛飾立石は都心からだと40分以上かかる。しかも「うちだ」の開店が午後3時、午後5時には売り切れのモツ焼きが出ると彼の本には書いてある。当日は仕事が急に取りやめとなって、ぽつんと時間があいてしまった。でも時既に3時近い。

 とにかく押上を目差し、京成電車に乗り込む。立石駅から歩くこと数十メートルで「うちだ」に到着した。4時前のことだが、驚いたことに席はあらかた埋まってしまっている。そして指示を受けて座ったのが品書きのまったく見えないところ。これはまことに残念。
 やや奥まった席に座ると薄暗いのと、満席のざわざわした低い騒音に気持ちがかさかさ滑っていく。この店、入り口近くは仲見世からの光が入り込んで明るいが全体に薄暗く、壁や机の古びた色合いと共に沈んで見える。そこに見る客層はばらばら様々であって、「昔からここで飲んでいるよ」という地元組、「わざわざここまで来たというグループ」、はたまたサラリーマンであったり、ボクと同じように「一度飲みに来たかったんだ」タイプまでいる。

 店内に入り、すぐさま座る席を指示されたと書いたが、なんだか席に着いてからも慌ただしい。ぜんぜん品書きが見えないので、しかたなく煮込みと梅割り。周りを見ると梅割りにサイダーを並べている人が多く、これを足すと酎ハイと言うことだろうか? でもとてもサイダーを飲む気持ちにはなれない。ビールに冬なら燗酒というのもあり、神谷バーのハチブドー酒、デンキブランなどがある。
 梅割りを注文するとさっきのテキパキしたお兄さんが片手に焼酎、片手に梅エキスの入った瓶をもって、まず、焼酎を分厚いグラスに満たし、そこに溢れるように梅エキスをそそぐ。これが甘いけれど、なかなか鄙びた味わいでいい。そこにみそ味の煮込みが間髪入れずにくる。この煮込みが濃厚だがさすがにうまい。うまいというより酒を呼ぶ味わいだ。

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 煮込みと梅割りをやりながら、すぐに梅割りをお代わり。「生」というのをお願いしたかったが「レバー」はいやだし「あぶら」も嫌だな、なんて思っていて仕方なくレバーとこぶくろをタレで。すると出てきたのがでかいモツ焼きである。それも170円2本が決まりなのでなかなかボリュームがある。
 また、梅割りをお代わりして、またまたお代わりしてお仕舞いにする。これで2千円を渡してたっぷりおつりがきた。

 店に居たのは30分と少し。飲んでいるときにも回りのお客の出入りが激しく、長居をする人は皆無である。最近、下町で飲んでいて気がついたことは「酒の飲み方がきれいで、あっさりしている」こと。中央沿線や神田などには未だにからんでくる、いきなり話しかけてくるなどヤカラがいる。これが下町だと話しかけるにしてもほどよく上品なのだ。
 さて、初めての「うちだ」はやはりじっくり味わって飲むという境地には至らなかった。これはまた再度挑戦するしかない。しかし、煮込みはうまかったな。

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 新井薬師駅商店街をぶらぶら歩いて、初めての交差点らしい交差点。右手を見ると森が見えて、たぶんこちらが新井薬師なんだろうか? それよりも真正面に「ああこれは堪らんな」というものが目に飛び込んでくる。「やきとり 金亀」、その軒先に4つの提灯があって「や・き・と・り」なんてオヤジのそぞろ歩きを止めるのに充分である。そろそろ灯ともし頃とは言え、ちょいと早い酒であるが当然「ゴー」である。
 入るとカウンターだけの店。左手にせり出すように焼き鳥(トン)の焼き台。カウンターの正面は壁であり、メニューがずらりと並ぶ。右手は座敷があり、ここは居住空間に思える。まったく怪しいところにいたのが割烹着のオバサン。これがとらえどころがない。

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 カウンターの右端には先客がいたが入るとほんの数分で出ていってしまった。

「あの、ホッピー」
 するとグラスに焼酎をそそいでホッピーを半分入れる。
「あと煮込みをください」
 これが450円、ホッピー380円でつまらない喫茶店より数百倍満足感が得られそうだ。
 そしてホッピーをあおりながら出てきたのがシロモツを使った塩分をしっかと感じられる煮込み(450円)。

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「うまいな」
 いい味なので自然にこんな言葉が出てくる。ついでに焼きとんの「はつ」「れば」を一般ずつ。
「ウチのタレは開店して以来30年も継ぎ足して使ってるんです。できればタレで」
 当然素直にタレ。
 これもなかなかよかった。それでまだ暮れていない街に出て、ほろ酔い歩きをしたのだ。
 下町と比べるとやや値の張る、「ちょっと一杯」ながら、中野の今と昭和の混合した商店街に忽然とあるのが「金亀」である。ここも住むひとに優しそうではないか?

 少しでも時間があれば東に行きたいというのが今日この頃である。なぜか知らないが「東へ東へ」と惹かれていくのだ。でも時刻はすでに6時半過ぎ。外はまだ明るいとはいっても大好きな下町の商店街は急がないと店仕舞いを始めてしまう。それでいちばん近い都営地下鉄神保町駅で170円切符を買う。そして飛び乗って追加の40円を支払って下りたのが住吉駅である。バカなことに、ここは営団地下鉄半蔵門線も乗り入れている。明らかに余分な金を支払ってしまっての住吉である。
 地下から出て右手に四つ角、正面の道路が新大橋通りであるが、ここまでくると道幅がせまいのだ。この道の正面になぜか満員のカウンターの店が見える。どうもラーメン店のようだが、なんだろう。そして行き着いたのが住吉銀座商店街である。北に向かって左手に魚屋がある。焼鳥や惣菜の店、そして居酒屋の『高島屋』を見つけて、そのまま北に。右手に賑やかな八百屋、うまそうな豆腐屋を見つけると、ほんの数十メートルなのに先がない。

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 仕方なくというか、どうしてもと言うか、行き着いたのが『高島屋』である。ここは確かかの名著『下町酒場巡礼』に載っていた店だ。それなら絶対に間違いはなかろうと入ってみて、あまりの懐かしい店内の雰囲気に体中が硬くなり、そしてぶるぶるふるえが来る。これはオヤジなりに「感動した」のだ。店は狭くて少し薄暗く古色をおびた壁には古すぎるポスターや黒板が見える。目を落とすと右手にテーブルふたつ。いちばん出口近くに手前にだけ二人しか座れない半テーブル。左にカウンターがあり、カウンターを隔てて幅1メートルたらずの厨房がある。店内は8割方満席だが、まだ余裕のある穏やかな雰囲気。厨房の真ん中にはテレビ。巨人阪神戦がついている。当然、下町なのでお客のほとんどが巨人びいきであるようだ。
「今日負けると10連敗だっけ」
「あれ、今日で9連敗、いやもう9連敗してるってことかな」
 そこに4人がけテーブルから
「王が荒川と会ったのが、あそこなんだ」
 この荒川というのはダレなんだろう? だいたい何時の話をしているのかもわからない。

 カウンターに腰掛けると、前にはおじいさんと大柄な男性。どう見ても親子である。おじいさんが料理の担当、息子さんが飲み物をつくる。まず突き出しに拍子木に切られたタクワン、そして真四角なタオルが置かれる。
 品書きを見るとアカガイ、カツオの刺身、締め鯖などが370円、ほかに薩摩揚げや里芋の煮つけなどもあるが400円を超えるのは味噌漬けの鶏とタンドリーチキンのみ。
 飲み物は清酒300円に生酒が高くて600円、他にはホッピーや「酎ハイボール」「レモンハイボール」などもあるが400円以下となっている。「ハイボール」とあるがようするに酎ハイのこと。それでまずはホッピーを注文する。

「どっち」
「え、ホッピーに種類があるんですか?」
「そう黒か普通」
 普通にすると息子さんが、素早く焼酎(初めて見る銘柄)を計り、グラスに入れてホッピーを注ぐ、そしてグラスとホッピーの瓶を机に置くのだ。これでさっき置かれた四角いタオルがコースターであることが判明する。そしてつまみにモツ煮込み。
「ネギ入れていい」
「お願いします」
 これが小さすぎる器に入れられて、ネギたっぷりでやや小山になっている。これに一味唐辛子をふり、そのモツの数片を口に入れると、やや塩辛いが、これは味噌の味わい。味噌はやや塩分濃度の高いもので、たぶん信州味噌かな。モツ以外にはさいころに切ったコンニャクが入っている。

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「モツ煮込みうまいですね」
「そうでしょ。昔はね。近所の人がいっぱい買いに来たの。ここ(住吉銀座)賑やかでね。そばにスーパーが出来てから人がいなくなったけど。昔はいっぱい買いに来たんだね」

 店内で「あああ、あ」と声があがる。テレビでは巨人軍の工藤が顔をゆがめている。
「誰だ、こんな番組つけたのは」

 今は店舗数も少なく寂れているが、その昔は賑やかな商店街であって、すこし北に行ったところには夜になると露店が出ていたそうだ。

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 締め鯖、もう一度、モツ煮込みを並べて、こんどは酎ハイボール。「ハイボール」という言葉をウイスキー以外にも使うのは古い店の証拠だと『下町酒場巡礼』にも書かれていた。そして熱燗を1本、そして2本。
 そんなとき、店には場違いとも言えそうな男性が入ってきて酎ハイボールにモツ煮込みを注文する。
「よく来るんですか」
 と聞くと
「まだ二回目です」
 この方はどうも『下町酒場巡礼』をしている模様。都営新宿線沿線にはいい居酒屋がたくさんあることなど教えてもらい。そして最後にもう一合。

 完全に出来上がって住吉を後にする。9時過ぎて東京駅から中央線に乗る。意識は確かに神田駅を出発するところまではあったのだ。気がついたら西八王子。しまった!

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