少しでも時間があれば東に行きたいというのが今日この頃である。なぜか知らないが「東へ東へ」と惹かれていくのだ。でも時刻はすでに6時半過ぎ。外はまだ明るいとはいっても大好きな下町の商店街は急がないと店仕舞いを始めてしまう。それでいちばん近い都営地下鉄神保町駅で170円切符を買う。そして飛び乗って追加の40円を支払って下りたのが住吉駅である。バカなことに、ここは営団地下鉄半蔵門線も乗り入れている。明らかに余分な金を支払ってしまっての住吉である。
地下から出て右手に四つ角、正面の道路が新大橋通りであるが、ここまでくると道幅がせまいのだ。この道の正面になぜか満員のカウンターの店が見える。どうもラーメン店のようだが、なんだろう。そして行き着いたのが住吉銀座商店街である。北に向かって左手に魚屋がある。焼鳥や惣菜の店、そして居酒屋の『高島屋』を見つけて、そのまま北に。右手に賑やかな八百屋、うまそうな豆腐屋を見つけると、ほんの数十メートルなのに先がない。
仕方なくというか、どうしてもと言うか、行き着いたのが『高島屋』である。ここは確かかの名著『下町酒場巡礼』に載っていた店だ。それなら絶対に間違いはなかろうと入ってみて、あまりの懐かしい店内の雰囲気に体中が硬くなり、そしてぶるぶるふるえが来る。これはオヤジなりに「感動した」のだ。店は狭くて少し薄暗く古色をおびた壁には古すぎるポスターや黒板が見える。目を落とすと右手にテーブルふたつ。いちばん出口近くに手前にだけ二人しか座れない半テーブル。左にカウンターがあり、カウンターを隔てて幅1メートルたらずの厨房がある。店内は8割方満席だが、まだ余裕のある穏やかな雰囲気。厨房の真ん中にはテレビ。巨人阪神戦がついている。当然、下町なのでお客のほとんどが巨人びいきであるようだ。
「今日負けると10連敗だっけ」
「あれ、今日で9連敗、いやもう9連敗してるってことかな」
そこに4人がけテーブルから
「王が荒川と会ったのが、あそこなんだ」
この荒川というのはダレなんだろう? だいたい何時の話をしているのかもわからない。
カウンターに腰掛けると、前にはおじいさんと大柄な男性。どう見ても親子である。おじいさんが料理の担当、息子さんが飲み物をつくる。まず突き出しに拍子木に切られたタクワン、そして真四角なタオルが置かれる。
品書きを見るとアカガイ、カツオの刺身、締め鯖などが370円、ほかに薩摩揚げや里芋の煮つけなどもあるが400円を超えるのは味噌漬けの鶏とタンドリーチキンのみ。
飲み物は清酒300円に生酒が高くて600円、他にはホッピーや「酎ハイボール」「レモンハイボール」などもあるが400円以下となっている。「ハイボール」とあるがようするに酎ハイのこと。それでまずはホッピーを注文する。
「どっち」
「え、ホッピーに種類があるんですか?」
「そう黒か普通」
普通にすると息子さんが、素早く焼酎(初めて見る銘柄)を計り、グラスに入れてホッピーを注ぐ、そしてグラスとホッピーの瓶を机に置くのだ。これでさっき置かれた四角いタオルがコースターであることが判明する。そしてつまみにモツ煮込み。
「ネギ入れていい」
「お願いします」
これが小さすぎる器に入れられて、ネギたっぷりでやや小山になっている。これに一味唐辛子をふり、そのモツの数片を口に入れると、やや塩辛いが、これは味噌の味わい。味噌はやや塩分濃度の高いもので、たぶん信州味噌かな。モツ以外にはさいころに切ったコンニャクが入っている。
「モツ煮込みうまいですね」
「そうでしょ。昔はね。近所の人がいっぱい買いに来たの。ここ(住吉銀座)賑やかでね。そばにスーパーが出来てから人がいなくなったけど。昔はいっぱい買いに来たんだね」
店内で「あああ、あ」と声があがる。テレビでは巨人軍の工藤が顔をゆがめている。
「誰だ、こんな番組つけたのは」
今は店舗数も少なく寂れているが、その昔は賑やかな商店街であって、すこし北に行ったところには夜になると露店が出ていたそうだ。
締め鯖、もう一度、モツ煮込みを並べて、こんどは酎ハイボール。「ハイボール」という言葉をウイスキー以外にも使うのは古い店の証拠だと『下町酒場巡礼』にも書かれていた。そして熱燗を1本、そして2本。
そんなとき、店には場違いとも言えそうな男性が入ってきて酎ハイボールにモツ煮込みを注文する。
「よく来るんですか」
と聞くと
「まだ二回目です」
この方はどうも『下町酒場巡礼』をしている模様。都営新宿線沿線にはいい居酒屋がたくさんあることなど教えてもらい。そして最後にもう一合。
完全に出来上がって住吉を後にする。9時過ぎて東京駅から中央線に乗る。意識は確かに神田駅を出発するところまではあったのだ。気がついたら西八王子。しまった!